ゆとり教育の破綻と現場の声

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ゆとり教育の見直し。
正直当たり前だという気がしてならない。
むしろ遅かったのではないかという思いすら、個人的には思っていたりする。

学力低下が問題視される中で、
詰め込み教育への反省から
ゆとり教育という名の元に自由な発想を促そうというものだったと、
ボクは捉えている。

その表れが円周率3だとか、そういうことをやっていたのだからどうしようもない。



しかし、以前ここでも書いたが「守破離」の最初がないことには、
自由な発想も何もないわけである。

まして、実際にふたを開けてみると、
授業が少なくなった分塾や予備校に通うという始末。

学校で学ぶものとは、決して国語や算数などといった内容だけでもない。
むしろそれ以外の方が多いのではないかと思うふしさえある。
友達と遊んだりすることも、ひとつの学びの場なのである。

ただ、時間を増やせばいいとか時間を減らせばいいという問題ではない。
質自体を変えないといけないということになるだろう。
これで、また円周率を3.14に戻すとかそういう次元の改定をするのであれば、
文科省は何を考えているんだ、ということになる。

今必要なのは「考える力」である。
卑近な例かもしれないが、例えば数学で一つの公式を習ったとき、
どういうときに使うと問題が解けるのかということすら、
今の教育では扱わないのではないだろうか。
実際それは個人が考えて導くべきところだろうが、
そこの手ほどきをするような方向の指導は必要だと思う。

性悪論ではないが、人間楽な方向に流れるものである。
何もなくて問題がなければそのままでいる。
もちろん何かの必要に迫られることでしんどくても自分を成長させる方向に努力はするが。
楽な方向に流れるのはエントロピー理論ではないが常である。
学級崩壊だの、小学校乱入だのの変な問題が起こったりするのも、
教育にかけるエネルギーが足りないからではないだろうか。

郵政民営化も別に否定しない。
北朝鮮との国交だの中国との関係だのを議論するのもいい。
ただ、教育という基盤を整備しないと、
長い目で見るとシロアリの食った穴から家がつぶれるかのような、
国家の内部崩壊すら起こりかねないと思うわけである。

抜本的な指導要領の改変を期待している。
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by Keisuke_Ishino | 2005-02-17 01:18 | ニュース
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